2012年11月27日
 ■  白襷隊 明治人

今年は、明治という時代が終わってから丁度100年になります。
そのせいか、今年は明治天皇の本や、日露戦争の本などが多く書店に並んでいたと思います。また、偶然かNHKでは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を放送していたので、ご覧になった方も多いと思います。
そして、昨日の11月26日は、日露戦争の際に乃木第三軍がロシアの旅順要塞に第三回目の総攻撃を敢行した日で、「白襷隊」が突撃した日でもあります。

作家の司馬遼太郎氏等一部の人は、この白襷隊の決死突撃や、乃木希典将軍を「愚行」「愚将」と否定しますが、本当にそうなのでしょうか?

ある方の本には、日露戦争時のロシア側資料の紹介があり、それは下記の通りだそうです。

「余ら、旅順籠城の守兵は、一兵一卒の末に至るまで、各一砦一穴は全露西亜国なりとの観念を深くの脳裏に刻して、血につぐに骨をもってし、骨につぐに直ちに魂をもって死守したるなり。
 しかも日本軍の驍勇堅忍なるや分を得れば寸、寸を得れば尺と・・・営々倦まざること即ちこれをや日本軍の精気なりと言わん。実に、この精気に強き日本軍が精気の弱き露西亜軍を屈服せしめたるなり。
 余は敢えて屈服という。されど1905年1月1日の旅順開城をさすにあらざるなり。
 その前年の暮れ、即ち11月26日における白襷抜刀決死隊の勇敢なる動作こそ、まことに余らをして精神的屈服を遂げしめる原因なれ。
 この日の戦闘の猛烈惨絶なりしことはもはや従来の露西亜文学にはその適当なる修飾語を発見するを得ず。・・・数千の白襷隊は潮の如く驀進して要塞内に侵入せり。総員こぞって密集隊・・・白襷を血染めにして抜刀の姿、余らは顔色を変えざるをえざるなりき。余らはこの瞬間、一種言うべからざる感にうたれぬ。曰く、屈服。」

即ち、ロシア側は、この局地戦ではかろうじて勝ったものの、この時実質精神的に屈服(降参)していたとしています。
また、ロシア側がどんな敵がきても3年は持ちこたえると豪語した永久要塞を実は半年で落としてしまった乃木や日本軍を各国の軍部や敵国ロシアでさえ賞賛しています。

どんな気持ちで決死隊に志願し、突撃していったのか・・・皆この戦に負ければ日本は大国ロシアに蹂躙されてしまうと分かっていたのだと思います。
この熱き明治人達の事を思うといつも涙腺が緩んでしまいます。
昨年の東日本大震災で、避難作業に辺り現場に踏みとどまり亡くなった多くの警察官・消防・消防団員の方々。最後まで避難指示のマイクを離さなかった若き役場の女性職員・・・ 平成の日本人にもこの熱き明治人の血が流れている事が改めて分かった気がします。 今年はもう一度明治の歴史を勉強しなおそうと思った今日この頃です。


 第3回旅順総攻撃に先立ち、約3000名の決死隊「白襷隊」が肉弾突撃しました。そして奮闘空しくほぼ壊滅名以上の戦死者を出したそうです。この方達は数時間後に死を覚悟して突撃していったのです。(この方達にも愛する家族や両親がいたと思うと何だがとまりません)


 明治天皇100年祭が今年は各地で行われていました。本も沢山出版されています。
明治天皇は、日露戦争後に参謀総長に推薦された乃木将軍を許可せす、代わりに学習院の院長に任命します。これは、日露戦争で乃木将軍が二人のご子息(勝典・保典)を亡くしていたので、寂しかろうという心と、明治天皇が愛してやまない、3人の孫である後の昭和天皇・秩父宮・高円宮が丁度学習院に就学の時期に当たっていたから、それを乃木将軍に託したかったからだと言われています。


 明治天皇が崩御された後、約一ヵ月後の1912年9月13日に明治天皇の大葬の儀があり、朝から上記写真の通り正装し奥様の静子さんと出席し、その日の夜、明治天皇の出棺を送る大砲の音がなった時に、奥様と共に殉死してしまいました・・・前日12日付けで遺書を書いていますし、数日前には後の昭和天皇らに、山鹿素行の「中朝事実」という本を授けて良く読むようにと言ったそうです。その時後の昭和天皇は乃木に「どこかにいってしまうの?」と聞いたそうです。だからこの写真は既に自決を決意していたときの写真です。
 その乃木夫婦の葬儀には、何十万人もの人が参列したそうです(自主的)
ちなみに、乃木夫婦には5人の子が生まれたそうですが、3人は夭折し、上記の2人の息子だけが成人しましたが、この日露戦争で亡くしています。この写真の静子婦人は5人の子を亡くしたのです。どんな思いだったのでしょうか・・・
最後に、この後に遠くロシアから匿名で「一人の僧より」として香典が送られてきたそうです。これは、旅順で激しく戦ったロシア軍のステッセル元将軍からだったそうです。ステッセル将軍は、旅順陥落後、有名な水師宮の会見で乃木の武士道により帯刀をゆるされ、その後ロシアに帰国後、時のニコライ皇帝により死刑を宣告されましたが、この時乃木はニコライ皇帝に減刑の嘆願書を送ったそうです。これは前代未聞の行為でした。そのかいもあってかステッセルは死刑を免ぜられたと言われています。

明治時代の武士道と騎士道いい話です・・・

2012年11月25日
 ■  湘南波乗り日記

11月12日に かなりいい波に当たりました! サイズは頭以上あって、綺麗に割れた(ブレイク)波もあって、本当にクタクタになるくらい いい波でした。

でも、当日僕は風邪を引いていて、抗生物質を飲んでた程具合が悪く、1時間位で上がりました。 また、波にパワーがあったので他のサーファーのリーシューコード(サーフボードと足を繋ぐコード)が切れてしまい。荒海を必死で泳いでました(汗)

サーフィンはある意味命がけのスポーツなんです。昨年も何人か亡くなっていますし、今年も千葉でサーファーがテトラポッドに飲み込まれて、お亡くなりになったそうです。
でも、やっぱり自然相手のスポーツは気持ちもいいし、やめられません。(でも気をつけます)


サーフィンやっている人なら分かると思いますが、かなりいい波です。湘南平塚花水川河口ポイントです。


 サーフィンの後はこれ! 平塚名物「花水ラオシャン」へ!
今日はワカメたんめん。酢とラー油をかけて食べます!クセになってきました。


富士山も、すっかり雪化粧しています。綺麗だな~

2012年11月10日
 ■  2012年 酉の市 by 新宿花園神社

今年も、酉の市の季節がやってきました。関東ではこのお祭りが終わるといよいよ師走だなって感じる人が多いお祭りです。

昨年は、震災の影響もあって、お客様も出店も多くは無かったようでしたが、今年はもの凄い人出で、参拝待ちが長蛇の列で、とても息子君が並んで参拝できる状況ではなかったです(日を改めて参拝行く予定です)

特に景気の良くない年は、参拝客が多いらしく。皆さん縁起物の熊手を買って福を掻き込めるようお参りしていました。

関東では毎年11月の酉の日に、この新宿花園神社以外にもいくつかの神社やお寺で酉の市を開催しています。これは日本武尊(ヤマトタテルノミコト)が11月の酉の日に没したかららしいです。それで日本武尊を奉っている神社で行われている様です(諸説ありますが) 


 花園神社の境内には50店舗を超える熊手店が軒をならべています。熊手は毎年少しづつ大きくしていくらしいです。沢山の縁起物の飾りを施してあってとっても綺麗です。


 毎年いつものお店で買っていますが、今年は息子君が熊手を選んでくれました。息子「どれにしようかな~」 パパ「高いのはやめてね(汗)」


 息子君が選んだのは、ピンクの招き猫が可愛いい熊手でした! 今年も「まけて」って頼んで値引きしてくれた分はご祝儀として払いましたので実際は定価ですけど!
縁起物はこのようにして「買った=勝った」という感じで買うのが粋みたいです。
購入後は、お店の人や周りの関係ない人たちも参加して、拍子木で手締めをしてくれます。息子君も一緒に手拍子していました。


 境内があまりにも込んでいた為、神社裏の新宿ゴールデン街側に避難しました!ここでもお店が出てはいるので、お好み焼き・ジャガバター・たこ焼き・今川焼きなど等を買って美味しく食べました。息子君は熊手が気に入った様子です。


 夜も更けてきたので、ママに綿飴を買ってもらい、食べながら家に帰りました。11月19~20日には、二の酉があるので、また来ようかと思っています。