2009年07月17日
 ■  神風特別攻撃隊

東京もやっと梅雨も開け 毎日暑い日が続いています。 この前 7月15日(東京地方のお盆)に 靖国神社を車で通ったら「みたま祭」をやっていました、僕は右翼でも戦争肯定者でもないんですが、夏になるとやっぱり昔に日本の為に戦った純粋な人たちがいたということを思い出します。

特に考えさせられるのは、神風特別攻撃隊で、過去に色々な書物や最後の手紙・映画やドキュメンタリー番組を見てきましたが 当時純粋な17~20位の多くの青年達が散っていった気持を思うと目頭が熱くなります。
テロや狂信的な自殺行為ではなく、礼儀正しく 母親や 兄弟姉妹思いの 好青年が、死を覚悟して粛々と何日もその日を待つ彼を思うとたまらなくなります。

いいとか悪いとかではなく そんな彼らを思い出してあげることは大事ではないでしょうか。

昔、フランスの著名な作家で 大臣も勤めた アンドレ・マルローさんが 日本の特攻隊を研究し
言葉に残しています。

特別攻撃隊の英霊に捧げる

  アンドレ・マルローの言葉

(略)

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
  戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
  フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」
  二十世紀の思想を代表するフランスの文人アンドレ・マルローは、こういうと床に視線を落としたまましばし瞑黙した。まさに百の頌詞にまさる言葉であろう。


特攻出撃数時間前の写真・・・・この五人は数時間後には帰らぬ人に・・ 全員17~18歳 
正面の小犬抱く少年は荒木幸雄伍長 17歳2ヶ月 その荒木伍長の特攻前日の消印の手紙が
残っています↓

 陸軍伍長 荒木幸雄
  
       最后(さいご)の便り致します
       其後(そのご)御元気の事と思ひ(い)ます
           幸雄も栄(はえ)ある任務をおび
       本日(廿七日)出発致します。
       必ず大戦果を挙(あ)げます
       桜咲く九段(くだん)で会う日を待って居(お)ります
       どうぞ御身体を大切に
          弟達及(および)隣組の皆様にも宜敷く さようなら 

特攻隊員の最後の手紙 父から娘へ・・・・「生まれたばかりの我が子への最後の手紙。」
海軍大尉 植村眞久 享年25歳
*植村大尉は幼子ありながら、特攻を志願。 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長の任務となる。出撃の前夜、戦友達の配慮で、長崎県大村基地から東京の自宅まで軍用の電話がつながれた。そして受話器を通じ、幼い我が子の泣き声を一声だけ聞いて、出発。昭和19年10月26日、愛娘が大切にしていたおもちゃの人形とともに、レイテ島東方スリガオ海峡付近の米機動部隊に特攻。 ↓         ↓           ↓
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyobun/uemura.html


★お勧めのユーチューブの動画見て下さい。↓★
http://www.youtube.com/watch?v=KuaEbT2_QEQ

ただし、会社とか人前で見ないで下さいね、泣きますから。

投稿者 yokoo : 2009年07月17日 17:05

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